大阪地方裁判所 昭和58年(わ)2696号 判決 1984年3月29日
主文
被告人を懲役三年に処する。
未決勾留日数中二五〇日を右刑に算入する。
この裁判が確定した日から四年間右刑の執行を猶予し、この猶予の期間中被告人を保護観察に付する。
押収してある文化包丁一丁(昭和五八年押六〇七号の一)を没収する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和三四年肩書本籍地の中学校を卒業し、来阪して間もなく、一三歳のころ中耳炎に続いて罹患した髄膜炎ないし脳炎の後遺症として痙攣発作を起こすようになり、その後大阪府及び奈良県において旋盤工や溶接工等として稼働しながら数か所の病院で右症候性てんかんの治療を受けたが完治せず、頻繁に痙攣発作を起こしたため何回か転職を余儀なくされ、昭和五一年ころ実姉夫婦を頼つて大阪府高槻市に来てその世話で就職したものの、一年間くらいで離職し、以後全く仕事をせず生活保護を受けて暮すようになり、同五五年一一月から同五七年九月までの間、同市内の光愛病院に入院して治療を受け、退院時までには痙攣発作及び当時の主症状であつた精神運動発作も見られなくなり、てんかんによる性格変化及び痴呆を残すのみとなつた。
そして、被告人は、肩書住居地のアパートに一人住いをしながら、前記光愛病院で被告人を担当していた医師が同市内に開設した診療所に通院して治療を受けていたが、金遣いが甚だルーズで計画性がなく、受給した生活保護費を数日のうちにパチンコ等の遊興に費消してしまうことが多かつたため、昭和五八年三月以降、右診療所の医師に生活保護の殆んどを預けておき、通院する都度その中から必要な金額だけを少しずつ渡してもらうようになつた。
被告人は、同年五月三一日午前九時すぎころ、右診療所で診察を受けた後、医師から生活費等として一万七〇〇〇円を渡されたが、同市内のパチンコ店でこれを使い果たしてしまい、同日午後二時三〇分ころ前記アパートの自室に帰つたものの、翌月分の生活保護費を受給できるようになるまでには間があるうえに、他に金策の目途が立たず、生活費及び遊興費に事欠くことになつたことから、以前テレビで見た銀行強盗の場面を思い起こし、銀行で客を人質に取つて金員を強取しようと決意し、自室で料理に用いていた刃体の長さ約16.8センチメートルの文化包丁一丁(昭和五八年押六〇七号の一)を手提げ袋に入れ、これを携えて幾つかの銀行がある阪急電鉄京都線高槻市駅付近に赴き、
第一 同日午後二時五五分ころ、同市城北町一丁目一番五号株式会社近畿相互銀行高槻支店内において、同支店の客である猿山八重子(当時五〇歳)に対し、いきなり背後から左手で同女のブラウスの後襟首をつかみ、その顔付近に右手に持つた前記文化包丁を突きつけ、同女を人質にしてその生命及び身体に危害を加えかねない気勢を示して同支店の行員らの反抗を抑圧して同銀行から金員を強取しようとしたが、右猿山に抵抗されるとともに他の客らに取り押さえられたためその目的を遂げず、その際、同女に約五日間の加療を要する左中指切創の傷害を負わせた
第二 業務その他正当な理由による場合でないのに、前記日時及び場所において、前記文化包丁一丁を携帯したものである。
なお、被告人は、右各犯行当時、てんかんによる性格変化及び痴呆のため心神耗弱の状態にあつたものである。
(証拠の標目)<省略>
(法令の適用)
被告人の判示第一の所為は刑法二四〇条前段に、判示第二の所為は銃砲刀剣類所持等取締法三二条三号、二二条に該当するところ、各所定刑中、判示第一の罪につき有期懲役刑を、判示第二の罪につき懲役刑をそれぞれ選択し、右はいずれも心神耗弱者の行為であるから、刑法三九条二項、六八条三号により法律上の減軽をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の罪の刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をし、なお犯情を考慮して同法六六条、七一条、六八条三号により酌量減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処することとし、同法二一条により未決勾留日数中二五〇日を右刑に算入し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判が確定した日から四年間右刑の執行を猶子したうえ、同法二五条の二第一項前段によりその猶予の期間中被告人を保護観察に付し、押収してある文化包丁一丁(昭和五八年押六〇七号の一)は判示第一の強盗致傷の犯行の用に供した物で被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項を適用してこれを没収し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項但書によりこれを被告人に負担させないこととする。
(心神耗弱を認定した理由)
当裁判所は、本件各犯行当時被告人がてんかんによる性格変化及び痴呆のため心神耗弱の状態にあつたものと認定したので、以下にその理由を説明する。
一被告人が罹患した症候性てんかん及びその症状の経過の概要は前判示のとおりであるが、前掲各証拠によると、更に、
1 被告人は、昭和四〇年一〇月奈良医大に入院して右症候性てんかんに対する脳外科手術を受けたが、痙攣発作の回数が減少したものの消失するに至らず、同五五年一一月判示光愛病院に入院した当初軽い意識障害(変容)を伴う精神運動発作(不機嫌、もうろう及び興奮状態を呈するもの)を起こしたこともあつたが、その後右症状も改善され、約一年後同病院の解放病棟に移されて木村昭彦医師が担当するようになつてからは痙攣発作は全く見られず、精神運動発作も殆んど消失していたこと、
2 そして、被告人は、昭和五七年九月光愛病院を退院して以降、同五八年二月末ころまでは毎週二回ずつ、翌三月初めころから本件犯行当日までは休診日を除いて毎日、前記木村医師が開設した診療所に通院して薬物療法(抗痙攣剤等の服用)を中心とする治療を受け、それとともに同年三月からは同医師の指導のもとに受給した生活保護費のうち家賃及び光熱費等を差し引いた残りの金員を同医師に預け、通院するたびにその日必要とする金員を渡してもらうようになつたこと
3 被告人は、右診療所に通院していた期間、症状には変化がなく、本件犯行当日の年前九時すぎころ、木村医師から診察を受けた際も格別異常な点は見られず、また、本件犯行当時及びその直前に、痙攣発作或いは意識障害を伴うような精神運動発作を起こしたものではないこと
4 しかしながら、被告人は、長年にわたつて頻発したてんかん発作により性格変化及び痴呆が顕著となり、性格的には、精神反応が遅鈍かつ粘着性であり、話し方が迂遠で保続の傾向が見られ、また感情反応が爆発的で短絡反応を起こしやすく、衝動の統制が十分でなく、些細なことに激昂しやすい特徴を有し、他方、知能的には、水準の低下が著しく(度重なるてんかん発作のほか、前記奈良医大における脳外科手術の際の右側頭葉の切除が知能低下を著しくしたものと推認される。)、軽愚に相当する知能低格者であり(なお、本件における鑑定時に施行されたウエクスラー・ベルヴュー成人知能検査では、言語性IQ六七、動作性IQ七四、全検査IQ六六と判定されている。)、本件犯行当時においても、右のようなてんかんによる性格変化及び痴呆の状態にあつたこと、
以上の各事実が認められる。
二被告人が本件各犯行を行うに至つた経緯、動機及び行為態様は前判示のとおりであるが、前掲各証拠によると、更に、
1 被告人は、本件犯行当日の午前九時すぎころ、前記木村医師の診察を受けた後、当日及び翌日の生活費並びに質入れしていた腕時計を引き出すために必要な金員として一万七〇〇〇円を渡してもらつたこと、
2 その後、被告人は、右の金員を持つて阪急電鉄京都線高槻市駅近くのパチンコ店に赴き、パチンコで約八〇〇〇円を儲け、一旦質店へ行つて一万円を支払つて質入れしていた腕時計を引き出し、再びパチンコ店へ赴いてパチンコをしたところ、その時の所持金約一万五〇〇〇円を使い果たしてしまい、再度右質店に行つて腕時計を質入れして八〇〇〇円を借り受けたが、更にパチンコをしたくなり、右パチンコ店に赴いて、結局、右の八〇〇〇円も全て費消してしまつたこと、
3 そこで、被告人は、アパートの自室に戻つた後、同日午後二時三〇分ころ、前判示のとおりの動機から銀行強盗を決意したが、その際、銀行から奪う金額は当座の生活費及び遊興費として二、三〇万円程度を考えており、人質を脅すための道具として文化包丁を、右文化包丁及び奪つた金員を入れるために手提げ袋をそれぞれ用意したこと(サングラスは、当日朝からこれをかけていた疑いもあり、犯行に備えてことさら用意したものとまでは断じえない。)、
4 そして、被告人は、直ちにアパートの自室を出て前記高槻市駅付近まで赴き、店舗の規模が小さく、客や行員が少ない方が犯行が容易であろうとの考えから、まず、富士銀行高槻支店に入つたが、予想以上に客の数が多かつたため、実行に移ることなくすぐ外に出て、続いて、阪急電鉄京都線の踏切を越えて大和銀行高槻支店まで赴き、同支店に入つたが、大柄な警備員らしき者がいたことなどから、ここもすぐ出て、結局、同支店の隣にあり、以前何回か利用したことがある判示近畿相互銀行高槻支店に入つて、本件各犯行に及んだこと、
以上の各事実が認められる。
三そこで、更に進んで本件犯行当時の被告人の精神状態について検討する。
1 前記の「罪となるべき事実」の項並びに本項一及び二において認定判示した各事実によると、被告人は、本件各犯行当時、痙攣発作或いは意識障害を伴うような精神運動発作の状態にあつたものではないが、症候性てんかんによる顕著な性格変化と軽愚に相当する知能低格の状態にあつたところ、前後の見境なくパチンコで所持金を使い果たし、生活費及び遊興費に事欠くことになつたことから、以前見たテレビ番組にヒントを得て、高高二、三〇万円の金員を得るために銀行強盗を思いついたもので、その動機は単純かつ幼稚なものといわざるをえないうえに、犯行を決意してから直ちに実行に移したのであつて、そこに深い思慮を働かした形跡はなく、むしろ金欲しさの欲求が先に立ち、その衝動の赴くまま行動したものと見られ、右の過程に前判示の被告人の顕著なてんかん性の性格特徴(殊に精神反応が粘着性で、衝動の統制が十分でない点)及び知能低格が密接に関与したものと考えられる。
もつとも、本件各犯行は、感情的な爆発から行動した事案とは異なり、一応兇器等を準備しており、計画的に敢行したものと見られないではないが、犯行に使用した道具はせいぜい身近にある文化包丁、手提げ袋といつたものであり、犯行の手口も右文化包丁を客に突きつけて人質に取るという単純なものであつて、犯行の手段を吟味し周到に準備したものとは考えられず、むしろ思いつくまま場当り的に敢行したとの域を出ず、また、昨今の金融機関の防犯態勢に徴すると、被告人の採つた方法では目的を達成する可能性が低く、どの程度の洞察ないし見通しを持つていたか大いに疑問であり、更に、客の少ない銀行を対象に選択するといつた程度のことは、格別深い考慮を要する事柄ではなく、いずれも前記の説示を左右するものではないというべきである。
2 ところで、鑑定人三好功峰は、本件犯行の特徴として①目的が幼稚であること、②犯行についての見通しが甘く、計画も唐突な面が目立ち、杜撰であること、③欲求が先行し、何が何でも金を手に入れたいとの衝動にかられていて、それを統制する力が弱かつたことの三点をあげ、右の①及び②は知能低格と、③は知能低格及びてんかん性格と関連する旨指摘し、犯行についての判断が浅薄であつたこと(右①及び②)並びに衝動の統制が困難であつたこと(右③)に加えて、右の人格障害及び知的障害が高度であることを理由に、被告人は本件犯行当時理非善悪の判断(これがいわゆる是非の弁別能力だけでなく、行動制禦能力を含む趣旨であることは、同鑑定人の当公判廷における供述により明らかである。)が著しく障害された状態にあつた旨示唆するが、右の鑑定意見は、前記説示の諸点に照らし、十分首肯することができる。
3 以上の諸点を総合勘案すると、被告人は、本件犯行当時、てんかんによる性格変化及び痴呆のため行為の是非を弁別し、その弁別に従つて行動を制禦する能力が著しく減弱した状態にあつたものと認めるのが相当である。
(量刑の理由)
本件犯行は、兇器を使用してのいわゆる銀行強盗であり、近時全国各地で金融機関を狙つた兇悪な強盗事件が多発している折から、この種事犯に対する一般予防的な面も軽視できないのであるが、他方、判示第一の犯行は、金員強取の点が未遂に終つており、判示猿山の負傷の程度も比較的軽微であり、更に、被告人には二回の罰金刑を除いて前科がないことなどの事情が認められるうえ、前判示のとおり、被告人は、不幸にも症候性てんかんに罹患し、そのため仕事も思うにまかせず、生活保護を頼りに生活してきたものであり、また、てんかんに基づく性格変化及び痴呆が顕著となり、それらが本件各犯行に密接に関与しているのであつて、被告人に対してはその情状を酌んで酌量減軽をしたうえ、刑の執行を猶予し、さらに保護観察に付してその更生を助けるのが相当であると思料し、主文掲記のとおり量刑した次第である。
よつて主文のとおり判決する。
(青木暢茂 齋藤隆 稻葉一人)